本の虫、ではなくてただの収集家?

  • 2014.08.27 Wednesday
  • 04:46
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先日、帰宅した時に郵便受けを覗いたらすごいことになっていた。
一番下の厚さは明らかにこの受け口よりも分厚いのだが、どうやっていれたのか疑問だ。。

以前ほどではないが、思い立ったときに本を大量に取り寄せて「悦に入る」ことが周期的に訪れる。
(も、もちろん時間をかけてちゃんと読みますよ。)
あるときは、音楽史、またある時期はある作曲家や画家、作家について。
で、またそれが訪れた。

今回は、モーツァルトの関連書。もちろん伝記は1〜2冊読んではいるが、果たしてその情報量はたかが知れているし、数ある作曲家の中でも、残された情報量や反面、残された疑問は多い。それに伴い研究書や参考書、エッセイは桁外れに多い。
それぞれの著者の時代または個人の主張がある中、清濁併せ呑みつつ情報量を増やすことを考えた結果、上記の結果になる。
ある5冊セットのモーツァルトの旅を追った書籍は気がつかず2回注文していて、あっても困るので来年1ヶ月ほど旅行に行くという生徒にそのままあげてしまった。

その15冊ばかりのもののうち、現在一番よりどころにしているのが次の本。

メイナード・ソロモン(Maynard Solomon) /著
石井宏/訳
「モーツァルト」新書館

もともと、同じくソロモンが執筆しているベートーヴェンの研究書を(岩波書店、「ベートーヴェン」上下巻)数年前に読んだことがあり、これまでの作曲家像と情報を踏まえ、それを客観的な視点で検証し結論立てていく書法には、とても安心した記憶がある。
彼の経歴で、音楽学者であることはもちろんだが、レコード会社のヴァンガードを立ち上げた経歴から予想される目的的思考の持ち主であろうこと、精神分析の論文をいくつも発表しているという点でもその論理性の安定感を裏付けてくれる。
不滅の恋人に関する章は、既存情報と今までの研究について批判しつつ論理的に本人を特定していく、まるでプロファイリングをしていくような感覚に興奮した記憶がある。

その「ベートーヴェン」といい、今回の「モーツァルト」といい、ページ数や文字数に制限がる結果、(読み手の察しを含めて)若干強引な結論に運ばざるを得ない文庫などと違い、または得られる限られた情報を堂々巡りしがちな研究書に対して、豊富な情報量の上に書きたい主張を余すところなく尽くしていることも満足感があり、なによりも第3者の証言の前に「作曲家」自身の立ち位置に始まり、そこに戻るスタンスが気持ちがいい。大人としてのモーツァルト。

なお、「モーツァルト」が1995年の比較的近い著作なのに対し、「ベートーヴェン」は1977年の作品。なんとなく文章の勢いや流れは前者の方がより磨きがかかっている印象だ。
個人的な欲求なのだが、現在のソロモンのベートーヴェン研究と、単により円熟した論理展開または文体でベートヴェンの主張を読んでみたいというのは、贅沢な考えであろうか。


先ほど述べたように、書きたいだけ書いているものなので今回のモーツァルトは800ページ弱(ベートーヴェンは資料索引を除いて上下650ページほど)。ようやく350ページほど進んだ。果たして旅行の前に一度読みきることが出来るのか若干焦っている。今日も夜が更けていく。


そして、今回のブログの口調は気がついたら、ジジイになっていました。。






この手のテーマのときにアフィリエイトを使えばよいのですね。
結局やらなかったが。
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ヴァイオリン教室
Jun Tomono VIOLIN SCHULE
http://vn-tomono.jugem.jp/


 

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