恐怖の日曜日 曇のち雨 のち晴れ ウィーン6日目

  • 2012.02.27 Monday
  • 18:23
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朝7:00に電車に乗る






7:30ハイリゲンシュタット到着 バスに乗る

















街を離れたくなり、ウィーンを一望できるというKahlenbergに来た。





薄雲が市内を被っているが、次第に晴れてくる。









美しきドナウ









眺めのよさそうなホテル


カーレンベルク教会





普段ミサをしている様子はない。
どこかで人の気配はした。








やはり、とてつもなく寒いので山上のカフェでエスプレッソ
おかげで一本バスを逃した。
今日の行動は限りなく計画性がない。

雲行きが怪しい。







ハイリゲンシュタット駅行きのバスで山を降りる。







この辺は別荘地か閑静な住宅地のようだ。



ぶどう棚だろうか。



グリンツィングの手前で降りる。


これは後で行くグリンツィング教会(だった)


坂を登り、とある墓地へ






墓地の見取り図を探す。



23番 実際にその名前を目にすると目が熱くなる。
ここに眠っているのか。


献花したい。がどうやら造花だ。こんなものでいいのだろうか。






Gustav Mahler (7.7.1860-18.5.1911)





遠くに尖塔が見えるのでそれを目指す。



これがグリンツィング教会かと勘違いした。 Maria Schmerzen 教会


グリンツィング墓地を通って引き返す。


やはりさっきのあれか



















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中へはいるとたくさんの人。そうか今日は日曜日だった。
少数ながら美しい聖歌隊もいて、良いミサ。
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途中で失礼させて頂いた。

中にあんなにたくさんの人がいるとは思えない静寂な扉
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路面電車のグリンツィング駅
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老婆が一人電車を待つ。
何を思うのだろうか。
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私の方はバスでハイリゲンシュタット駅へ。
方向が少し違う。
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U4で市内に向かう。
11:00から楽友協会でウィーンフィルの定期があるので、立ち見の席を買って聴こうかと思ったが、日曜は券の売り場が休み。聞くと別な場所で買えるらしいが、その時点でコンサートは始まっていて場所も自分で探すのに間に合わないと判断、諦めた。
自分の性格には行き当たりばったりは合わない。

ふてくされて次の目的地のベルヴェデーレに歩いて向かう。



雨が降ってきた。
次第に強くなる。
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着いた。
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が、

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券の売り場に列が出来ている。

こんなのやだニャア!
だから日曜は嫌いなんだよなあ。

気力がなくなり、やけくそになりホテルに戻る。
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広い。気に食わないニャア!!
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気まぐれでホテルの隣の駅のケッテンブリュッケンガッセで降りる。

たまたま、ユーゲントシュティール式の建築であるマジョリカハウスに出会う。
オットー・ヴァーグナー作。
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向かうのは
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カフェ巡り第4弾 シュペール
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こうなったらやけ食いだニャ!!
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食べ過ぎた。しかも値段も高い。

動けなくなり、ホテルに戻り寝てしまった。



しかも駅で何となく嫌なものを見た。
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ところで、こちらの地下鉄はおもしろいダイヤだ。

日本と違うのは、昼間は時刻は掲示してなく、5分ほどのインターバルとのこと。
そのほうが不確実な時刻をやきもきして待つよりも確かに合理的だ。

もう一点は、金土の夜中(土日祝日の未明午前)は電車が動いていることだ。
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夕方になり、ホテルを出る。(確かそれまでの時間前回のブログを書いていた気がする)

少し時間があるので、カフェ巡り第5弾 カフェ ディグラス
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寝ぼけているためかうまく撮れていなかった。雰囲気はとてもよい。

エスプレッソだけ。
ちなみにドイツ語ではエスプレッソは Schwarzer 普通のコーヒーは Brauner 多分。
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今日は、Staatsoperに向かう。

ウィーン国立バレエ団

Meisterwerke des 20.Jahrhunderts
20世紀の傑作

演目

serge Lifar - Edouard Lalo
SUITE EN BLANC

Nils Christe - Bohudlsav Martinu
BEFORE NIGHTFALL

Roland Petit - Georges Bizet
L'ARLESIENNE
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バレエを見るというよりオケの仕事ぶりをみたいのでバルコニー右サイドの桟敷席を奮発。
(高いニャア・・・・)
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4月にうちのオケの仕事でちょうどこのバレエ団のこうもりがあるので様子を見るのも目的。


最初のラロ、白の組曲は舞台はテンポ感のよいパフォーマンス。

オケのほうは確かにものすごくサウンドはよいが、ちらほら音を外したりアンサンブルが乱れるのが聞こえる。

おそらくだがこの曲のシンプルさは逆に難しい。サウンドも作りにくい。

しかもこのオケ、人によっては午前中のウィーンフィルの定期公演ものっているだろう。
よく考えたらものすごくシビアなスケジュールだ。
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休憩中に指揮台に近づいてみた。
普段仕事で見るものより、ハイテクな機材が並んでいる。

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全然、関係なくミスタードーナツを思い出した。
さすがにこっちにはないなあ。
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キュッヒル氏とシュトイデ氏が並んでいる。これもすごい光景だ。
ウィーンフィルも世代交代の期限が迫っている。


この後は写真を撮り損ねた。

というより、写真を撮ることを忘れた。

この休憩のあとオケが豹変したのだ。


マルティヌーの曲は「二つの弦楽オーケストラ、ピアノとティンパニのための複協奏曲」らし
い。

ここでオケのプライドに火がついた。バレエ音楽ではない。もはや誰も指揮などみていない。
自らの意志で緻密なシンフォニックなアンサンブルを生み出す、しかもあのウィーンフィルのサウンドだ。

あっという間に時間は瞬間になる。

こうなると休憩後のアルルの女でもオケはとめられない。
最初の一音から、宿命の死を叩きつける。舞台上でのフレデリとヴィヴェットのそれぞれの葛藤と愛を音楽が別の、しかし結果として一致した彩りを添える。

最後のファランドールは今までに聴いたことのない凄まじい速さ。
単なる客観的なお祭りの音楽ではなく、まさに生きながらの死か、生命の死の選択を刻一刻と迫られるフレデリの耳に聞こえてくる自身の鼓動の高まりと合い絡まった主体的な死の祭典だ。

ここでの高弦の弓使いがまた凄まじい。
キュッヒルの表の列はただでさえこのものすごい速さの8分音符の刻みを全てダウンボウ(途中半分で全部アップに変えて)で叩きつけるのだ。

祭りは終わりに向かい、主人公の命の残りの1秒、0.1秒に向かって音は舞台のフレデリの葛藤と共に螺旋状に狂ったようにテンポを極限に高め、
最後の一音の瞬間、フレデリは舞台背面の窓に向かって身を投げる。



直後の割れんばかりの拍手。自分は拍手をしていいのかどうかわからなかった。

もうなにもいらないや。


Jun Tomono VIOLIN SCHULE
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ウィーン2〜5日目

  • 2012.02.22 Wednesday
  • 09:33
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ウィーン国立音楽大学 正面





15日にレッスンが始まり、そのためにホテルにこもって練習する時間が多くなった。

今回レッスンをみていただいているのはツィエンコフスキー先生というここウィーン国立音大の教授だが、とても充実した時間をいただいている。

彼の経験をとおしたヒントがとても説得力があるし実際にとても音楽を変える力を実感する。

今のところ半分の日程を終えて、イザイとバッハを一通りみてもらったが、例えばイザイのレッスンではイザイの体の特徴や彼の実際の弾き方、教授も住んでいたベルギーの天気のこと、ヴィルトゥオーゾになること(悪魔のように、生意気に弾くこと!)についてなるほどと思えることばかりであった.

もうひとつ確認したのは、彼のレッスンの方法だ。
とても言葉使いを選ぶし、特に強要しない。

Darf Ich〜?Probielen Sie〜.

彼が自分の楽器を持ってこない理由も教えてもらった。



三回のレッスンを終えてもらった言葉は
「神様が上から言葉をかけるようにたくさん言って申し訳ない。
ただ信じて欲しいのは、ほんとうに良く弾けているし、ごまかすようなこともなく、プロフェッショナルにひいていると思う。
それに日本であなたみたいな音で弾く人はたぶんほとんどいないと思う。

だからもっと自信をもって弾いて欲しい。(オケの)仕事はあるけど家に帰ったら常にソリストとして弾いて欲しい。
とても興味深いレッスンだった。ありがとう」

半分はお世辞だとしても、心に染みる言葉だった。


あとはレッスンの合間に行った場所などを簡単に紹介。


16日の朝6:30ごろ、Sbahnの71に乗る







30分ほどで降りたのは中央墓地



風が冷たく足元が凍っていて滑りやすい。
黙々と掃除をする管理人たち以外はまだ誰もいない。



日本と違うのは墓石にそれぞれ個性があることだ。



中央付近の32A地区

左がベートーヴェン、右がシューベルト、中央は後に建てられたモーツァルト

今日はベートーヴェンに会いにきた。



実際に目の前にたった途端、言葉にならない感覚が沸き起こった。
心で感じるのではなく、自分の肉に直接訴える手触りの感覚だ。

すぐ足元にベートーヴェンが眠っているのだ。
ものすごい冷たい風が絶え間なく流れるためか、先程から涙が絶え間なく出てくるのだ。


なんと立派な確固とした墓石だろう。
他のものと比べてこれは比べるものがない。
多くの献花がある。どれほど多くの人に愛されているだろうか。
今までも、これからも。



この区画には他にも多くの音楽家が埋葬されている。

グルック、スッペ、ランナー、シュトラウス父子、ブラームスなど。










つれない兄を支え続けた、ヨーゼフ・シュトラウスの苦悩を代弁しているかのようだ。



墓地を見守るかのようなカール・イェーガー教会




善も悪も吸い込まれるかのような高貴な青だ。



それにしても、人のいない墓地はなんと寂しいのだろう。














午後の歩きで見つけたマリア・アム・ゲシュタート教会





偶然通ったウィーン国立音大の寮。5年前滞在した記憶がある。
聞いたところでは、財政破綻で現在は人が入っていないらしい。



17日午後のレッスンのあとの散歩

Stadtparkの中を歩く。
シュトラウス象


この人たちがいるのはどこも共通。
後ろから抱きつきたくなる。



ここのカラス(多分)は日本よりも小柄で声も高く明るめ。
黒づくめでなく、おしゃれなコートを着ているようだ。


川が凍っている。それほど寒い。



ホテル・インペリアル前


楽友協会とカールス教会



結局まだ入ってない。入場料をとるのが気にいらない。


カフェ巡り第3弾。ブロイナーホーフ





ここは、地元の人が通うような落ち着いた雰囲気だ。
ザッハートルテは大味な感じではあるが、長居がしたくなる場所だ。
向こうにいるオーバー(ボーイさん)の声がめちゃくちゃいい。声帯が長そうな張りのある落ち着いた声だ。歌う人なんだろうか。
是非また来たい。




夜のシュテファン寺院



19:30からフォルクスオーパーで椿姫を見るために向かう


編成も小さめでピットは余裕がありそうだ。







舞台は簡素な演出に仕上がっていたが、その分動きが有り飽きさせない。
歌手のクオリティも素晴らしい。
ただ、主役ヴィオレッタのMelba RamosとアルフレッドのOliver Kookが他の歌手に比べ、小柄でプクプクしていた(笑)



クチコミによっては時々、Staatsoperに比べてレベルが落ちるだとか客の態度が良くないと書いてあったが、全くあてにならない。

舞台の出来は本当に素晴らしいし長年の積み重ねやプライドを感じさせる見事なものだった。

オーケストラはこのスペースを熟知した常に優しい音で手堅いアンサンブルをして、その音色を崩すことなく瞬間ごとの表情を見事に彩っていた。
客は日本人もやや多く見かけたが、このオペラを熟知したであろう反応をする地元の方が多数を占めていた。
休憩時間にはロビーや客席で世間話をする、明るさの絶えない空気。

舞台と演じる側と受け取る客の調和した素晴らしい劇場だと感じた。



18日夜は、楽友協会にてトーンキュンストラーオーケストラの演奏会。


曲目は、ドビュッシーの牧神の午後
Rシュトラウスの歌曲を3曲
マーラーのシンフォニー4番

来年4番をやるので、後学のため。








えらい席になってしまった。

ステージ上のオケの横だ。安かったので。







このティンパニには後で度肝を抜くことになる。



最初の一音から最後まで素晴らしい音楽だった。
やや若いオーケストラのようだが、音の柔軟性やそれぞれのテクニックは言うまでもない。
それでいて新鮮さがある。

指揮者のEstorada氏も若そうだが、音楽の造りやオーケストラのコントロールを柔らかく確実に掴んでいた。





このオケのティンパニ奏者。
一見男性のようだがこの方は女史だ。すぐ近くでそのパフォーマンスを見ることができた。

音色の柔らかさと多彩さ、オーケストラの中での音の立ち位置、何といっても音への執着とプライドが凄まじい。

自分が音を発するまでことあるごとに楽器のチューニングをそっと音叉と自分の指全てを使って確かめ調整していた。耳(だけ)でなく、おそらくは五感で音を作るのだ。
動きに無駄がなく、その音に行き着くまでに全てが計算され尽くしている。

そして、その結果の音の美味しいことといったら。一音一音全能を尽くしたトルテを食べている感覚になった。

ああ、こんな音楽家が近くにいたらそれだけで幸せだ。




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ウィーン1日目

  • 2012.02.17 Friday
  • 04:51
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朝6時半に朝食を急ぎすませて、駅に向かう。


ホテル目の前のU4 Pilgramgasse駅

 
電光掲示板。右の数字は次の電車がくる分を表示。
日本より細かい!
ちなみに電車は極めて正確。日本みたいな凄まじいラッシュがないからかもしれない。
もっともこちらの人にとってはこれでも混雑と感じているかもしれない。
あと、ホームでの放送がないのですごく静かだ。


ハイリゲンシュタット行き。

z
Karlsplatz駅で降りて歩く。


カールス教会。これは見覚えがあるニャ。


地下を通って道路を越え




キュンストラーハウスの裏を通ると。


見たことあるニャ!!
泣く子も黙るあれだ


さらにリングに出て左に。


これも猫も黙る建物


ケルントナー通り。うわ人が全然いない。


アーケードなのに道路に雪がある気がする。


ロクシタンがあるとなぜか安心する。


Gerade aus...


Noch gerade aus... 右にカフェ アイーダ


シュテファン寺院。あいかわらずでかいのう。


縦にしても収まらない。
泣く子も黙るシリーズ3弾、シュテファン大聖堂
http://www.stephansdom.at/index.htm

http://www.stephanskirche.at/index.jsp?menuekeyvalue=2&langid=11



中に入った。入口にいるおじさんはたぶんただのたかりだと思います。


7:30からのミサに出てみようと思いまして。
でも5分前なのにもう始まっているようだ。




前の方に来た。
それにしても少ないし、年配の方ばかりだ。
平日は通勤の時間になり若い人はなかなか来れないと思う。
事実、途中でそっと入ってきて、思い思いに礼をしてすぐに出ていく人が少なからずいた。


ウィーナーノイシュタットの祭壇。
これを見てなぜかオケの掲示板を思い出してしまった。






大オルガンと聖歌隊の席。これは聴いてみたいなあ。
今日参加したミサは音楽なしの歌だけの素朴なミサだった。
それはそれですごくよかった。人の朗誦すらとても美しく響く。


主祭壇の礼拝が終わると。今度は入口近くのマリア・ポッチェの祭壇で礼拝が始まった。
信仰の対象が異なる宗派を包括しているようだ。


8:00。いったん外に出る。
  
正面。きれいに見えるが、建物の中で最古の13cのものらしい。

かなり体が冷えていたので、カフェアイーダに入る。
ボーっとしていたので、つい日本のスタバのような感覚で、先にカウンターで注文と支払いをしてしまった。

ちょっと恥ずかしかった。


恥ずかしかったので、控え目にエスプレッソを。
というかカフェ巡り1軒目だった。

まだ時間があるので大聖堂周辺を練り歩く。(寒い!)








シナゴーグの辺りだ。なんだこれは。





ルプレヒト教会。740年に創建らしいウィーンで最古の教会。
後で調べたら、入れるようなことが書いてあった。
もう一度来て見ると思う。


ちなみに教会の周囲は飲み屋で囲まれていた。


急いでシュテファン大聖堂に戻る。
途中でアンカー時計を素通り




9:00前に戻ってきた


このアングルを撮るために遠回り




聖堂の南塔が9:00に開くのでジャストで入った。


343段の階段を登る。


まだまだ下













上部の見張り台で街を一望できる


こっちは北側 手前に北塔の頭、はるかに見えるのは国連のビル群か



ええと、東方向


西 


寺院前の広場。
人がまばら




手前のドームはペーター教会、とんがっているのはミヒャエル教会とミノリーテン教会だろうか



なぜだか急いで降りてきた。
帰るまえにもう一度こよう


聖堂の中。10時のカタコンベのツアーに参加する。待っている人達


早朝のミサの時にはこんな柵はなかった。
聖堂のガイドツアーをやっている。
こいつはビジネスのフェンスだ。


カタコンベの入り口

ここからは写真禁止。でかいガイドについてこの下を30分ほど回る。




撮ってるし。

初期のハプスブルグ家の廟
左右にはその内蔵を保管している。心臓はアウグスティーナ教会にある。

ここからは1739から1783までの公共の墓地。手狭になるたびに何度も改修された。



最初の部屋は棺に収められているが、次からの部屋は部屋に骨が散乱している。
11000人が葬られたという。



ペストの際はただの穴を掘って800〜1000人の遺体が無造作に投げ込まれたという。
最後の部屋は骨が整然と部屋の各面に敷き詰められている。
場所の節約のために囚人に骨を洗って積み重ねさせた。


階段を上がって外に出てきた。



広場には馬車が待機している


うま



正面の広場では奴らが商売を始めていた。

「がくゆうきょうかい!」といって全然違うところにつれていってコスプレして演奏を聴かせるやつらだ。
ついて行ったことはないが。


頼むから写真に収まってくれ!


ええい!


向こうには

ペスト記念柱

その正面には

ペーター教会
http://www.peterskirche.at/

予定の時間より早かったので、中を見てみた





圧倒されていると、これから正午のミサが始まるらしい。
つい出るタイミングを逃してしまった。


伝統的で厳格そうな眉間にしわのあるおばあちゃんが後方↑↑↑↑に張り付いていたので途中で出るのをはばかられた。献金をした後になんとか出てきた。
もっとも、この人は幾度と入ってくる観光客が前の方にいって写真を撮らないように制止していた。

守る人がいなければこの空気はどうやって守られるのだろう。
このミサの参加者は本当に敬虔な保守的な雰囲気であるように感じた。

もちろんシュテファン寺院でのミサも同じことが言える。
この時間は観光の波に飲まれることから強い意志で守られているいるのかもしれない。

教会はただのきれいな箱ではなくあるべき人が入って初めて生きる。

人が集まる場所ではなるべく写真を取ることを控えることにした。


一度ホテルに戻り、15:00に再びペーター教会にきた。
30分ほどのオルガンのコンサートが聴けた。

プログラムはブクステフーデとバッハ。

このコンサートはほぼ毎日行われているようで、これから何度かこようと思う。
週のプログラムを見ると毎日違うもので16cから19cの作曲家の作品をバランス良く配置されている。ドイツ語圏のものに限られているのはあるかもしれない。


そのあとは少し散歩をしながら帰ることにする。


カプツィーナ教会






ふと通り過ぎたガレリア。ウィーンでこんな場所があるのか。
中を通ってみた。


少し向こうにヴォティーフ教会。
名前が覚えれない。


リングにでて北上したらたまたま発見。こんなところにあったのですか。


ブルク劇場の方に向かい、カフェラントマンを発見。





がんばって入ってみた。
特に問題なく入れた。品定めはされた気がする。

普段スーツを着ているので助かった。

もっともカフェのなかでは入りやすい雰囲気ではあったと思う。
デーメルとザッハー、ロイヤルなどの前を通ったが結構勇気が入りそうな雰囲気だった。




アップフェルシュトゥルーデルを初めて食べた。
凄まじく濃い甘い。

店を出たあと、リングに沿ってブルク劇場、市庁舎、国会議事堂などを眺めながら歩き
王宮の中を通って歩いてホテルに帰った。


ラントマンを振り返る




市庁舎前の公園でスケートをしている




フォルクス庭園を横切る





新王宮。これもでかすぎて写真に収まってくれない。








全てがでかい。これが帝国の力か。

これをみて育つと性格が全然違ったものになるだろうな。

MQの前を通り、マリアヒルファー通りにはいる。日本で言えば表参道みたいな雰囲気か





方向が違うので、路地に入りU4に沿った道に出る。


長い一日だった。
次の日からは講習が始まる。しばらくは学校との往復で終わりそうだ。

Jun Tomono VIOLIN SCHULE
 

太陽を追いかけて ウィーン0日目

  • 2012.02.14 Tuesday
  • 01:45
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JUGEMテーマ:海外一人旅 ←今のところ
JUGEMテーマ:ウィーン
 


機内では座っていて食べるしかやることがない。ブロイラーみたいな生活だ。
おかげでドイツ語の勉強がたくさんできた。


日本時間の12:15の飛行機に乗って、現地時間の16:10にウィーン着。
とても穏やかなフライトでした。着陸前はまるで止まっているかのような錯覚を覚えた。


12時間太陽を追いかけていたことになるのかな。


シベリアの上空あたりか。


車輪がでてまもなく着陸。寒そうだ。
いや、このタイミングで写真撮ったらあかんだろ。


なんだか空港が閑散としていた。国際空港なのに。


空港をでて、観光案内所でウィーンカードを買ってCATにのる。
見覚えのある景色だtったので特に困ることはなかった。


要するに線路に立ち入るなと。回りくどい言い方だ。



ブレた。


上がCAT(City Airport Train)の切符。以前と変わっていなくて嬉しい。
下はウィーンカード。市内の交通機関が72時間フリーになり、かつ各種観光施設やイベントの料金が割引になる。18.50€

下は参考資料





CATの扉のボタン
下に余白があるのは新たに言語が増えたときに規格の変更がないようにという
ドイツ語圏的な性格なのか?


CATの車両の中。
なんだか懐かしい。





   
空港から市街に入るまでは工業地帯、森、郊外の住宅地と景色が変わる。
      
WienMitte 駅に到着しそこから地下鉄のU4に乗り換え4駅目で下車。
軽い帰宅ラッシュだった。




ぐるぐると回ってホテルを探してしまった。
なにせ、大雑把な観光地図しかなく、ホテルの外装が工事中でホテル名が見えなかった。
空港の到着時の気温が-5℃と伝えられたからもう少し寒いのかも。-8℃くらい?
あまり寒いとは思わなかったが、足元が凍り気味になっている。



広すぎる。どうやら日本のシングルという概念はないみたいだ。


今回もってきたタイタンのソフトケース。楽器ケースはヤーガー。
容量がぎりぎりだったので、買い物をしたときは郵便局で送ることになると思う。



たくさん歩くことをかんがえて靴をもう一つ持ってきた。


何度か一階に質問に行き、パソコンも悪戦苦闘してネットに常時接続できる状態にした。
というか、このパソコンに無線LANのアダプターが内蔵されているの知らなかった。
もう3年以上使っているのに。。。もしかして家でも使えた?

それから追加の今日の一泊と明日からの予約と同じ部屋にしてもらった。
これで自分の城が完成。


今日はもう疲れたので、外で適当に食べるところを探す。


ここにした。


見られた。
今回の旅は写真が撮りにくいな。いつもより控えめになるかも。


若干ジャンクフード気味だが、初日からシュニッツェルにありつけた。

帰りにスーパーで買い物をしようとしたら20:00でもう閉まっていた。
時間に関しては今後気を付けないと。


ベッドのまくらの上にはチョコが。
一人部屋でリクエストしたのに枕がふたつ。

ということは、


ふたつとも食べられるニャア〜!やったニャア〜!















・・・・・・・もうなくなったニャア〜!!!もっとよこすニャア〜!

まくらをもう一つ借りたら、もしかしたら明日はチョコが3つになるニャア〜!


買い物しそびれたのでお腹がすく。朝食は6:00からなのでもう少し。


この日記を書いているのが12:30くらいだから日本では8:30か。
日本でいつも寝る時間がどんどん遅くなるので、時差のおかげでこちらの生活時間にちょうどよくなった。
そういえば、ヨーロッパに来たときは毎回同じこと言っている気がする。

明日は何をしよう。なにも考えていないや。

講習は本来明日が移動日なので、自分はフリーの日。
なるべくたくさん動いて町のペースを掴もう。
あとドイツ語をなるべく使う。



練習は?




※日記の投稿時間は今回から、書き終わった時点の現地時間にします。





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バタバタと準備中

  • 2012.02.13 Monday
  • 02:57
JUGEMテーマ:ひとりごと

書き忘れていたが、14日のフライトがなぜか運休になったので、一日前倒しの13日出発となった。

余裕をもって準備するはずだったが、今週は仕事を詰め込んでしまってギリギリの生活。

今日までリハーサルと本番と、その前後のレッスンの嵐。

ほとんど練習できなかったな。いや、こりゃ単に言い訳だな。欲張るとこうなるんだな。

なので今更荷物の準備に追われています。


今回パソコンを持って行くので、連絡や写真の整理、ブログのアップなどできるはずですが、実際そんな余裕ないかもしれない。


向こうでは、レッスンを4回以上受けること、それから演奏会などのチケットを4つ予約しているのでそれから逆算してスケジュールを組もうと思う。
それから、6つほどの教会と2つの美術館が必須授業。
朝から歩き回る意気込みだったが、寒波に阻まれるかもしれない。あ、あと土産も必須だった。

そもそもの目的を忘れそうだな。頭が働いていないなこりゃ。

こころ残りは、書く予定だったブログのネタが消化しきれなかったこと。

松山での早朝の自転車で怒涛のお遍路二日間は写真がぎょうさんあるので大変そうだ。
ウィーンで書くかな。お遍路ブログ。


そろそろパソコンを荷物にいれないとな。

こんな無意味な記事は初めてかな。なんだこりゃ。

最近脳細胞が減った気がするな。

ではそろそろ。


Bis bald.







高知3日目

  • 2012.02.09 Thursday
  • 06:48
JUGEMテーマ:四国88カ所参り
JUGEMテーマ:旅日記・写真
JUGEMテーマ:戦国武将ゆかりの地巡り


朝6時半に起床、朝食を食べ、7時前にホテルを出る。

誰もいない商店街
 

コンビニで日本酒の小ビンを2本買ってバス停に向かう。


桂浜行きに乗るが、今日は途中下車。


長浜のあたりでバスを降りる。
目の前の小学校の標識にドキッとする。





まず行き着いた場所は




お遍路二ヶ所目 雪蹊寺

http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/33sekeiji/index.html












さて、今日ここに来た目的はこちら


長宗我部信親の墓。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%AE%97%E6%88%91%E9%83%A8%E4%BF%A1%E8%A6%AA (Wiki参照)


信親は四国の雄、長宗我部元親の長男。
島津氏に対する九州平定軍に豊臣によって召集され、親子ともに参加。
指揮をとった豊臣の軍監仙石秀久の無謀な渡河作戦によって信親は戦死。
悲嘆にくれた元親は自殺しようとするが、家臣にとどめられ日振島(前回宇和島にて船で訪れた。12/16参照)に逃れる。



それにしてもなんとも寂しい場所にあるのだろうか。


信親公にお酒を飲んでいただいた。安いもので申し訳ない。



信親公の墓を後にする。





雪蹊寺は長宗我部の菩提寺でもある。
廃寺となっていた真言宗「高福寺」を元親が再興、
信親が戦死したのち元親が京都で客死し、四男盛親が後を継ぐ。
元親の法名にちなみ「雪蹊寺」と改め、菩提寺とする。


ちなみに隣にある「秦神社」は、明治時代の廃仏毀釈で雪蹊寺が一時廃寺になった際、
地元有志の活動で創建された元親を祀った神社。
「秦」は長宗我部氏の本姓と言われる。


こちらも立派だ。




寺を出る8時頃、団体客が到着。


先を急ぐ



雪蹊寺と秦神社の裏山は長浜城の跡。こちらも長宗我部氏ゆかりの地。
登り口を探したがわからなかった。残念。



15分ほど歩いて着いた場所は




若宮八幡宮
http://wakamiya-kochi.com/

鎌倉時代に創建。
土佐がまだ多くの豪族によって割拠されていたころ、長宗我部元親が父国親に従い本山氏との戦いで初陣した。
そのときこの社で戦勝を祈願し、長浜城を攻略したのが22歳のとき。
それ以来、長宗我部氏の出陣祈願の社と定められた。






社殿は出蜻蛉式というらしい。
とんぼは勝虫とも呼ばれ、縁起が良い虫との説明があった。


社に向かう。












立派な酒だ。







これは長宗我部氏の家紋
七つ酢漿草(カタバミのこと)


若宮八幡宮から参道を遡ると遠くに人の姿がある。


手には長槍









長宗我部元親初陣の像







長宗我部元親(1539〜1599)は、長宗我部氏21代当主。

22歳のとき初陣し本山氏に勝利、以来土佐の国人と争い、政略と戦によって勢力を拡大、
中村の土佐一条氏を駆逐し1575年土佐を統一。
中央の織田信長と同盟関係になり(長男に信長の名から一字頂き信親と名付けている)うまく距離をとりつつ、阿波讃岐と伊予に進出。
1780年、三好氏を降伏させ阿波讃岐をほぼ平定。その後信長と敵対し、四国征伐の危機にあうが
本能寺の変が起きる。それに乗じて阿波の平定、柴田勝家や徳川家康と連絡し、ポスト信長の秀吉と互いに牽制しつつ伊予の河野氏とその背後の毛利氏と渡り合い1585年に伊予を平定し、これにより四国を統一。(諸説あり)

同じ頃中央を平定し領土の割譲を迫る秀吉と対立し、防戦の準備をするが秀吉の四国平定軍に敗れ降伏。土佐一国の大名となる。

1586年、九州統一を狙う島津氏の侵攻から大友宗麟を救援するため、秀吉の九州方面軍に従軍する。
そこで起きた戸次川の戦いは先述のとおり。

信親を失ってからはその心の傷の為だろうかそれまでの度量のある性格が変わってしまったらしく、家督相続の際には四男への相続を強行し、反対家臣を粛清したという。

現在の高知城の場所に大高坂城を築く。その後朝鮮出兵など政略の目的で桂浜に浦戸城に移る。

1599年京都伏見で病死。

その後、長宗我部氏は1600年の関ヶ原の戦いで西軍に属し敗戦。戦後改易となる。

長宗我部氏の後、土佐には山内氏が転封した。


ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%AE%97%E6%88%91%E9%83%A8%E5%85%83%E8%A6%AA#.E9.98.BF.E6.B3.A2.E3.83.BB.E8.AE.83.E5.B2.90.E3.83.BB.E4.BC.8A.E4.BA.88.E3.81.B8.E3.81.AE.E4.BE.B5.E6.94.BB



土佐の一国人から四国統一の野心。挫折と息子を失う悲劇。異郷で死の寂しさ、家の断絶。
シェイクスピアの戯曲にあってもおかしくない激動の人生だ。
なぜ大河ドラマにならないのだろうか。

この像は平成11年に建立。
偶像的ではあるが素晴らしい像だ。
地元の方の思いがこの表情に込められているようだ。


元親の逸話のひとつ
家臣に四国平定の理由を尋ねられ「我れ諸士に、、妻子をも安穏に扶持させんと思ひ(家臣に十分な恩賞を与え、家族が安全に暮らしていくため)、四方に発向して軍慮を廻らし」と答えたという。
足元には、四国の全図がありそれを欲するように手を伸ばすようなドラマティックな姿勢になっている。この切なさ、なんと言葉にしたらよいのか。





後ろ髪を引かれながら、最後の目的地に急いで歩く。



地図を見ながら15分ほど


脇道に入る。


傍らには小さな墓碑。元親の愛馬のものらしい。




山際に向かっていく







階段を登ると






長宗我部元親公の墓









元親公にもう一本の酒を飲んで頂いた。
やっぱりもっと良い酒だったらよかったなあ。


いつまでもとどまり元親公に語りかけられるのを待っていたいが、
もう行かなくては。










元親公の足元にはいくつもの塚がある。
元親を慕うようだ。

事実、山内家が土佐入りする際には、何度かそれに対して旧家臣の反乱や一揆が起こったという。
(扇動者があったとしても)それだけ土地では愛されていた人物なのだろう。


どうも私が理想の人物像は決まっているようだ。
知力に長け、地道に力を得ていく人物。人に愛される性格、そして悲劇がある。
実は武田信玄も好きで、甲府にある武田神社には毎年訪れてお参りしている。(今年はまだだった。)



近くのバス停に戻る。

9時12分のバスで市内に帰る。これで仕事のバスの出発に間に合う。
これが急いでいた理由。



バス停の前にあった会社。


近くで掃除をしていたその会社のおばさんと少し話した。
高知は日差しが高いので気温が低くても暖かく感じる。



なんだかどこかで見たような型のトラックが。
今日のリハーサルここだったっけ?





時間がとんで、この日の学校公演は斗賀野小学校。
雪が降って来ているのに見送られた。


ここから松山へ移動。
電車では効率が悪いので、珍しく集団でバス移動。
山を通り抜け、愛媛県に向かう。


南国とは思えない。




地図を見たところ、四国カルストという台地のあたりを走っているらしい。
天気がよければもっと見事な景色だっただろう。夏は放牧地でもある。



県境を越えると天気が落ち着いてきた。
下る途中で松山市が見えてきた。


今回最後の旅はやはり松山市になった。



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高知2日目

  • 2012.02.07 Tuesday
  • 06:51
JUGEMテーマ:お城
JUGEMテーマ:旅写真
JUGEMテーマ:癒しとやすらぎの自然・風景
 

朝9:00過ぎにバスで出発、少し離れた須崎に向かう。午前中にG.P. 午後本番。

G.P.の後、時間があったので散歩にでて近くの漁港に出た。

前日の桂浜と違い、穏やかな入江だ。


何かの作業船が、港に入ってきた。




向こうで何か作っている。ちょっと行ってくる。



堤防



何かを干しているようだ。





ちりめんじゃこだった。






ホールに戻ります。





今日の観客登場


結構立派なホール。




さて、本番が終わって16:00頃に高知市内に帰ってきた。
まだ大丈夫かもしれない。高知城にいってみる。


山内一豊だそうだ。

大河ドラマみてないからあまりピンとこない。ごめん。
むしろ四国と言えば長宗我部氏という印象が強い。というより好きなだけ。
信長の野望をやりすぎたための知識の偏りのせいかもしれない。



こっちには板垣退助


大人の階段登る。




石垣が美しい。隙間が多いのは雨の多いという土佐の国独特の気候に合わせたもの
なのかもしれない。



階段を登りきった右側に。
びっくりした。
山内一豊の妻らしい。
何もそんなところにいなくても。こっちは後付けな感じがするな。




天守が近づく



ん、もう過ぎてる。。


詰所。
この二階部分を通って本丸に行く造りになっている。
この中には警護が何十人も詰めていたのか。



天守を下からみる。
石落としと忍び返し。 





詰所。





本丸。なんとか





時間がないのでささっと。





説明やら資料があるが、今日は素通り。




最上階






四方が見渡せる。











下で警備員が早く帰りたそうだ。


帰ろう。







城の敷地内で球児たちが走っていた。
ものすごい大きい声であいさつされた。
気持ちがよい人たちだ。




3日目に続く。日本を立つ前に書かないと。


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高知1日目

  • 2012.02.02 Thursday
  • 06:52
JUGEMテーマ:絶景
JUGEMテーマ:


 9:37、高知着。



駅前には大きな銅像三体が。ここまでやるとちと恥ずかしいな。




ここにも路面電車が走る。路面電車王国、四国。



街の景色。高知橋から。南国の雰囲気。


はりまや橋


また猫がいた。おかげでそこで5分以上時間が止まってしまった。

むぅ・・・ねこめ、いつも俺を翻弄しやがって。どうしてくれるんだ。




ミスドがある。後でいこう。



ホテルに荷物を預けてから、桂浜経由の遊覧船乗り場へ。

遊覧船は前日予約が必要とのこと。不覚。
予定を変更して、バスに乗って桂浜に向かう。



30分ほどで桂浜に到着。



闘犬センター。


試合は時間差で見れなかったが中に入れた。


吉宗公がこんなところに。


闘犬場。物々しいな。



5ヶ月半の子供とのこと。その割にはでかい!



闘犬センターをでて桂浜へ





坂本竜馬像






桂浜をしばらく歩く。



自分の足跡が残る


竜宮宮に登る。
















地球は丸い。














バス停に戻る


竜馬先生さようなら




再びバスにのり、次の目的地へ向かう。


遊園地の乗り物みたい








バスは山を登って五台山の展望台に来た。


ライオン宰相。 日本史で出てきた記憶が。



ここで少し食事休憩。




さびれた施設かと思いきや、現代美術館のようにアレンジした立派なカフェだった。
ここからの高知市の眺めが素晴らしい。







日が当たって暑い席に座った。
狂った太陽に殺される。それも良いかもしれない。


よりによって熱いスープカレーにした。美味しかった。










椅子かな?


ボルシェヴィキ・・・


屋上の展望台


水が循環して金魚が泳いでいた。


許可をいただいてたくさん写真を撮らせてもらいました。
いろいろなオブジェが楽しかった。



ここを経営している会社らしい。


店を出て展望台に登る。


青の階段










展望台より眺める。



展望台の手すりではささやかなイベントが行われていた。
想いの形は人それぞれ。



向こうには、五重塔が確認できる。
後で行く五台山竹林寺。


展望台を降り、初の四国八十八ヶ所霊場の寺に向かう。




四国霊場第三十一番札所 

五台山竹林寺 日本三文殊隋一

http://www.chikurinji.com/index.html

http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/31chikurinji/index.html














こんなに素晴らしい所とは考えていなかった。
私は無宗教だが、時間を忘れてしばらく惚けてしまった。
ブッダの世界を表現しているのだろうか。






上には先程の五重塔が静かに見下ろす。


納経所


本堂。国重要文化財指定。
傷みが激しいため改修中。










大師堂と五重塔






写真撮ったので罰があたるかもしれん。




ここにも人の想いがたくさん。



本堂改修のこけら料としていくらか寄進させて頂いた。どこかに自分の名前が。










こちらが本来の参道かな。



立派な山門。









本坊、客殿に入る。こちらには立派な庭園が。
鎌倉時代以来の由緒ある庭らしい。夢窓国師の作庭。国名勝指定


アップライトピアノがある。。


























建物の三方向に庭がある。
この季節でこの景観だ。春夏秋にはどれだけの鮮やかさを味わえるのだろうか



外に出る。鐘撞き堂。撞いていいのだろうか。衝動に駆られる。


宝物館には、国重要文化財の像が17体。
全て藤原時代から鎌倉時代のもの。


それぞれものすごい存在感がある。

※宝物館の自動ドアに注意。
ものすごい勢いで開いて、すべての仏像が突然三方から睨んでくるようで心臓に悪いかもしれない。


寺のそばには大きな植物園があった。牧野富太郎博士の記念したもので、元は竹林寺の境内だったらしい。
これも行きたかったが、竹林寺で既にお腹一杯になったのでバスで市内に戻った。

高知県立 牧野植物園
http://www.makino.or.jp/



竹林寺には心を打たれた。
これをきっかけにこの地と松山にて怒涛の霊場巡りが始まる。



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旅 東京〜高知

  • 2012.02.02 Thursday
  • 00:09
JUGEMテーマ:寝台特急
JUGEMテーマ:絶景

 先週は文化庁の学校公演で高知と松山に行ってきたのでその記録を。

今年度最後の四国行きなので、記念に夜行列車に乗って行ってみた。
移動日は23日だったが、その前日の夜に東京を出発。




サンライズ瀬戸、出雲  
高松、出雲行き。

岡山を経て瀬戸大橋を渡り高松に7:27分着。

探検してみた。
内部の様子









部屋は狭いが快適。
集中すればちゃんと眠れるのだが、流れる夜の景色を見逃すのがもったいないので
結局何度も身を起こして外を眺めてしまう。
子供か。


切符


ラウンジ






シャワールーム。
車掌さんからカードを買って使用するらしい。
6分間シャワーがでる。
ドライヤーもあった。



これらは、B寝台のソロ。シングルよりやや狭い。
荷物が少なければこちらでもよいかもしれない。


こちらはシングルツイン。
ひとりでもふたりでも使える。


ごろんとシートの車両。
個室でなくプライベート感はないが、特急料金だけで(寝台料金無しで)使用できるらしい。


A寝台車両の廊下。
こちらには上にシングルDX、下にツインの個室が配置されている。




シングルDXの個室。椅子机と洗面台があり、ベッドもやや広い。
シングルがカプセルとしたら、こちらがビジネスホテルのシングルぐらいの間取りか。
なにはともあれ、余裕があればこちらの方がよかった。

下のツインは写真を取り忘れた。


7号車と8号車の間。あとでここを切り離される。










朝の6時過ぎ。岡山にて、切り離し作業。後方はここから出雲へ向かう。



段々明るくなる。


児島の駅。
ここから瀬戸大橋。
























言葉にならん。
もうすぐ坂出につく。


おつかれさまでした。高松まで頑張ってください。



坂出の駅で乗り換え。


少し間があるので改札の外へ


四国ではメロンパンをサンライズと呼ぶらしい。県民ショーでもやっていた。


ここから、高知行きの特急「しまんと号」






大歩危小歩危の渓谷に沿って走る。
すごい景色。ここに限らず四国の移動はどこも絶景だった。


電車すれ違いのため大歩危で、5分ほどの停車


なつかしいアンパンマン列車が来た。


このあと高知編。

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